他人の「夢の話」というのは往々にして面白くない。
なぜか?「今日夢でさー」なんて前置きをされてしまうとそこからのストーリーは何でもアリになってしまうからだ。
ある程度映画、小説、アニメやドラマなどの創作作品に触れている人は大抵の場合、冒頭部分から自分が想像していたものとは違う展開にストーリーが動き出すことに面白味を感じるものだと思う。
少なくとも俺はそうである。
しかし、「夢の話」はどうだ。
「今日夢でさー」
その先が全く想像がつかない。
そのわりにどんな展開になろうと驚かないし、よしんば話にオチがついたとしても「それ作り話だろ」と妙に冷めた態度になってしまう。
もっと言えばお前の夢の話なんてどうでもいいとさえ感じてしまう。
と、今まで思っていたのだがある事をキッカケにその認識がガラリと変わった。
俺はバイト先の後輩と話していた。
「ねえ聞いてくださいよー!今日夢でねー!」
「(出たな妖怪夢暴露!)うんうん」
「とまじゅーさんが死んじゃったんですよー!」
「(!?・・・ゆ、夢に相手を出演させることで共感を狙う手口か。ふ、ふむなかなかやるな)へ、へえ。俺どんな死に方だった?」
「それがーw前の日に作ったカレーにあたっちゃったみたいでwwwwふふwwwウケるwww」
「!?」
「ウケますよねこれwwwwww」
「昨日、たしかにカレー作ったわ・・・」
「カレーなんてありがちだしそんな夢の話なんだから本気にしないでくださいよーwww」
「たしかに・・・ねw」
その日の夕食、俺は彼女の言ったとおり本気にせずそのカレーを食べた。
そして今、絶賛下痢中である。
もうとんでもない下痢。明らかに俺こんなに食ってないだろって量出てくる。おかしい。
さながら錬金術だ。
一人前のカレーを口から入れて二人前のカレーを尻から出すことができる錬金術。
俺の腸内細菌とカレーに含まれるスパイスかなにかが化学結合して、禁断の錬金術を成功させてしまったのか?いつもジャワカレーなのに今回はボンカレー使ったからか?
いずれにせよ、俺は質量保存の法則を越えてしまったのかもしれない。すごい!ノーベル賞ものだ!
俺の尻は食糧問題を解決し、世を団ケツに導いたのだ!尻だけに!わお!誰か俺を殺してくれ。
とにもかくにも彼女の夢は死ぬことこそなかったが、ある程度現実となったわけだ。
皆さんも他人の夢の話はきちんと聞くことをお勧めする。またその際はストッパを買うことを重ねてお勧めする。
以上、糞の話でした。糞雑記だけに!わお!
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